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修徳殿入殿


七月十八日からご本部へ参り、一泊二日の日程で「修徳殿入殿」の機会を得ました。教祖百四十年のお年柄にあわせ、中近畿教区の教会長・教師の信行会として企画されたものでした。
 修徳殿はご本部に設けられた、信心進修につとめる施設です。本部広前の修行生として、歩くこと、食事、掃除〈洒掃(さいそう)といいます〉入浴など生活の一切を修行として取り組みます。そして講話を拝聴し、懇談では腹蔵なく問題を出し合って求めあい、信心を深めていくところです。
 例えば食事は、粗末であるとか美味しくないということはないのですが、盛り付けや器にことさら頓着がないので質素に感じられます。私としては、次々にご祈念や懇談のスケジュールがカチッと立てられているので、何かとても忙しく思っているうちにおわりました。
 「修徳殿」から私がすぐに思い浮かべるのは、初代銀座教会長・湯川誠一先生のことです。「四十年目の修徳殿入殿」という、先生にまつわる文章を読んでみますと、こうありました。

○「お布団に御礼」
 金光教教師は四十年つとめると、金光様より褒賞をいただきます。誠一先生は戦後復興途上だった昭和二十七年に褒賞を頂かれました。そしてその折りに修徳殿に入殿されました。私は一泊入殿でしたが、当時は五泊六日だったようです。また現在は懇談を中心に信心を求めるという形ですが、当時の修徳殿は大祓詞を何巻もあげたり神習(しんしゆう)を何時間も行うといった体の行が中心でした。神習とは金光様に神習うという意味で、本部広前でじっと正座を続ける行です。さらに輔導の三代白神先生の「修行の上にも修行しましょう」との提案で、朝食を絶食するということになりました。修徳殿は今と違い現在の学院の場所にありましたから、日に五回も六回も往復するのはそれだけでも大変です。就寝もまた、布団が煎餅布団なの仕方ないとしても、蚤に刺されて体がチクチクするというふうでした。苛酷な修行で、当時高齢であった銀座の先生には応えたことでしょう。
 しかし朝目覚めたときには、気持ちよく起き上がられる、なんと寝床というのはありがたいものだと先生はしみじみ思われました。そしてお布団に御礼を申す、という信心をここから展開していかれました。

 今回私は光風館で、冷房の効いた部屋ときれいな布団で休ませてもらいました。日程もしんどいとか、辛いとは感じない程度のものでした。
 ただやはり、修徳殿入殿という場に改めて身を置くことで、七十年前の銀座の先生と同様にいろいろなことを思わされました。
 本部広前の修行生としていつも金光様のお側にいるということのありがたさ。教主をお受けくださり、コロナ禍の中でもかわらず淡々とご神勤を続けてくださっている金光様のお姿を拝していると、何と申せばよいのか、安心感のようなものが湧いてきてありがたくなります。
 ご霊地の徳という働きもあります。初代銀座の先生は、ご本部参拝は商売でいえば仕入れにいくようなものや、とおっしゃいました。二十年間にわたって毎年六月の入殿を繰り返され、信心を求めつづけられました。先生にとってご霊地は、ご自身の信心を見つめ改まっていく大切な場であったのです。教祖さま以来、歴代金光さまのお徳あふれるところですから。

 入殿は、教師ばかりでなく信徒の入殿も行われます。玉水の信奉者のなかでも、かなりの方が入殿されています。信心を進めたいという願いを立てて入殿を希望される方は、お申し出ください。

 今私たちは初代大先生八十年祭に向かって、初代大先生に「教え導きくださっておかげの花をお供えさせてください」と日夜お唱えし祈っています。教祖さまが丁寧に示してくださっている信心の道を真っすぐ進んで、おかげの花を咲かせてまいりましょう。


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