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屋久島行き


ことしの夏、思いがけず屋久島へ行く機会に恵まれました。育成機関・ゼロカンパニーによる屋久島遠征に欠員ができ、急遽(きゆうきよ)の参加となりました。

 屋久島と言えば雨降りの多いことで知られますが、二泊三日の行程中、ずっと好天のおかげを蒙(こうむ)りました。二日目に、有名な縄文杉を目指しました。行き帰りで十時間ほど歩き通しました。やはり立派で大きな杉でした。ただ、杉を見るのは離れた場所からでした。根元まで近づいて触れたりできるものと思ってましたが、自然保護のための制限があるようで、少し残念でした。帰りは下り坂で、膝が弱いので障らぬように「金光様、金光様」と唱えながら四時間ほど歩きました(先月号の『あゆみ』にこのとき撮った写真を載せています)。

 三日目は、屋久島教会の場所が宿の近くだとわかり、皆で参拝しました。お広前は畳敷きでしたが、膝の方も支障なく正座ができました。
 教会長先生は、四十年ほど前に京都から開拓布教に出られたとのことでした。お届けしたゼロカンパニーのメンバーに、時間のあることを確認された先生は、おもむろにご神前に進まれ、神前拝詞、天地書附奉体と、ご祈念をくだされ、そのあと教話をなさいました。
私たちが突然お参りしたのにもかかわらず、きちんと熱心に参拝への対応を頂き、私は大変ありがたく思いました。ゼロカンパニーの学生メンバーたちは足がしびれてつらそうでしたが。

○四十四年間一度も

 教話で、確か四十四年になると言われていました。いろいろなご苦労があったことが思われます。春秋の親教会のご大祭には必ずお参りされ、鹿児島までは船で、あとは鉄道を使われるそうです。海が荒れては船はでません。船が欠航することはよくあるといいます。ところが先生の場合、京都までの親教会大祭参拝に関して、船が欠航になったことは一度もなかったそうです。四十四年だと八十八回ですが、つねに天候に恵まれたそうです。奇跡的というしかありません。ただし鹿児島からの帰路については、船がでなかったこともあったそうです。

 大祭には、どうしてもおかげを頂きたいという祈りでしょう。一心に祈ればきっと神さまがお働きくださるという、よいお話を聞かせていただきました。

 ことしは教祖百四十年のお年柄です。金光大神さまが永世生き通しの神となられて百四十年という、ありがたいお年柄です。節年とも申します。蓄えられた養分から新しい芽がふいていくように、おかげが頂けるありがたい年です。一心に願って大きなおかげを頂いてまいりましょう。十月八日のご本部団体参拝には一人でも多くの方にお参りいただきたい。私自身は、この日の祭典前教話の依頼を受け、奉仕させていただきます。祭典はもちろんですが、私の話も聞いていただいて、信心の糧としていただけたらと思います。

 そして来年二月一日・二日の初代大先生八十年祭がいよいよ迫ってまいりました。七月十六日には二百日前信奉者集会を催し、短冊に願い事をしたためた提灯を玄関の天井につるしました。十月二十四日からは信奉者先唱による百日信行が行われます。着々と準備を進めております。

 今年は教祖百四十年、来年は初代大先生八十年とお年柄が続くわけです。素晴らしい節年が二年続くわけですから大きな願いを立て、いつにもまして一心に願ってまいりましょう。

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