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不自由を喜ぶ

 明年、玉水教会は布教百二十年を迎えます。四月二十日のご大祭日が、その布教記念の日です。今年は百十九年目ですが、その記念日を迎えるにあたって、玉水教会布教当初の話をさせていただきます。
 初代大先生、湯川安太郎という方は、自分で教会を持とうというような気はもっていませんでした。商売をなさって非常に苦労するなかで「神さまはご主人 自分は奉公人」という信心の境地に達せられた。それまで神さまを拝んでいるようで実は自分の腕を拝んでいた。神さまのお仕事を自分はさせていただいているのだ、と悟られた。そして、玉水(地名)にお広前はあったが先生がだれもいない。こうした経緯があり、どうしようかと教会責任者の道広教会初代・稲垣先生が三代金光様にお伺いに参られたところ、「湯川さんにしてもらえ」というお言葉がさがって初代が布教をはじめられたのでした。
 最初のお広前は非常に小さなお広前でした。土佐堀裏町の長屋の一軒をお広前にしたので間口が二間、奥行が五間という広さで、六人ほどが拝礼したらそれでいっぱいであったと初代大先生は回想されています。

○「死ぬまでおいていただきたい」
 そしてその時の広前を、後年になっても「結構なところやった」とありがたく感謝しておられました。しいて言えばお便所が共同便所で、雨の日などは難儀であった。「それでもありがたかった。死ぬまでこんな結構なところにおいていただいたらまことに結構である」と思ってられました。
 初代はなぜ、そう思われたのか。世の中の人は自由自由と、自由を追い求めて自由ほどよいものはないと欲して、かえって不自由をしている。だから私は不自由ほどありがたいものはない。不自由はおかげである、と解釈したと仰るのです。この自由という言葉には便利という意味もあるようです。「こんな不便じゃ困る。もっと便利が欲しい」というのでなしに、まずはその不便を喜ばしてもらう。そのうえでお願いしておかげをいただいていく、という道なのです。
「もう不便やから、たまらん、もうちょっと何とかならんか、便利な生活がしたい」と神さまにお願いするのではないのです。不便を喜ばしてもらっていたらなんでもありがたくなり、自然と不自由さがなくなる。そうやってお願いしていくうち玉水教会はどんどん大きくなって、最後に今のお広前ができたわけなのです。
 では、大きいのが小さくなったらどうなのか。これについては銀座教会初代・湯川誠一先生のお話があります。昭和二十年、戦災にあって銀座教会は仮広前に移ります。信者さんの店の二階で狭いところでした。しかし銀座の先生は「ちょうど玉水教会のご内陣(お扉のなか)の広さだ。神さまのお家の中で暮らせるようなもの」とありがたく厳粛に御用されました。厳しい経済状況のなか、一年ほどで銀座教会は元の場所に再建されたのでした。
 これは誠一先生が、初代大先生の「不自由を喜ばしてもらう」という布教当初のお姿をよくご存じであって、そのご信心を忠実に履み行ったものではないでしょうか。
 どんなことがあってもそれを喜ばせてもらう。ありがたいという思いを持たせてもらう、ということが信心において大切なところなのです。そして玉水教会の発祥にあたって、初代大先生がそのことに取り組まれてこんにちがあるということは、私たちが忘れてはならないところであると思います。

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