1. HOME
  2. 教風
  3. 教会長先生のおはなし
  4. 信心を伝えていく

信心を伝えていく

 明年は、初代大先生八十年祭をお迎えするお年柄となります。もう一年を切ったわけです。年初から、初代大先生拝詞の末尾に言葉を足して(照る月の弥広に恵み給いて「八十年祭迎え奉らむ吾人を、教え導きおかげの花を添わせ給えと」畏み畏み申す。)、初代大先生八十年祭拝詞として奉唱させていただいています。
また話が逆さまになってしまい恐縮ですが、明治十六年十月十日に教祖さまがお隠れになって、今年は「教祖百四十年」のお年柄となります。
 八十年のお年柄を迎えるにあたり私は、初代大先生のご信心について、とりわけ「恩」ということに力点を置いて信心を深めていきたいと思っております。

「恩」について、これまで折にふれて私は、「恩」の信心が初代大先生の根幹をなしていると申してまいりました。小学校の修身の本にあった「恩」の話にふれて、初代大先生の行き方は決まったのでした。では教祖さまの教えは「恩」とは関係ないのか。いえいえそんなことは全くありません。

 「金光教教典」を開けば金光教祖の「恩」についてのみ教えがそれこそ枚挙にいとまがないほど伝えられています。いつもいつも教祖さまは参ってくる人たちに「恩」についてお話しくだされていたようです。「ご恩を知りご恩に報いる」というのは金光教の大切な教義です。

  ですから現教主さまもそのことを受けて、お祭りの祭詞でも「ご恩を知りご恩に報いる信心生活を進めさせてください」と神さまに奏上されています。

○古臭くないか
 とはいえ、皆さんの中には「恩とは今どき古風すぎはしないか」と思われる方もあるのではないかと思います。

 こんな話があります。
 高度経済成長が一服したころの、まだ昭和の時代の話です。
 玉水の信心をひた向きに求めて突き進んでいる一人経済人がおられました。初代大先生から教えていただいた「恩を受けたら恩に報いる」がモットーで、そのことを公言していました。

 同業他社の方たちは「何と頭の古い人だ」と呆(あき)れていたようです。ところが自分たちはもっともっと進んでいると考えていた同業者たちが、訪米して最先端のビジネスを学び、さて日本で展開しようとすると、古臭いはずのその方がすでに始めてしまっているということが何度もあったそうです。

「あんな人がどうして次々に新しいビジネスを考えだせるのか」と同業者たちが首をひねっている、と当時の週刊誌に記事が掲載されました。

 信心している私たちからみれば不思議なことはありません。教祖さまが説かれ初代大先生にも伝わった金光教の信心の道を丁寧に履(ふ)んでいけば、神さまがおかげに導いてくださるのは当然のことです。
 信心は時代を越えたものであり、自信をもって進んでいけば必ずおかげはあります。

 ですから自分の信念として取り込んでしまうばかりでなく、次の世代にもしっかり伝えていかねばなりません。私たちの使命です。

 玉水教会は、初代大先生の信心を次の世代に伝えるために、ホームページのリニューアル、インスタグラムの発信、ユーチューブの利用などを準備しております。どうぞ活用ください。

あわせて読みたい

教風 教会長先生のおはなし

youtube