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神への願いは神への約束

今、お広前に初代大先生のみ教えを四つ掲げております。二〇〇五年布教百年祭時に制作した日めくりから選びました。

 そのひとつ「願うということは自分の努力を約束すること」についてお話ししてみたいと思います。
 初代大先生はこのみ教えについて「自分のせなならんことをちょっともしないで〝どうぞ?と神さまにばかり願っているようなことではどんならん。神さまへのお願いは神さまへの誓い・神さまへの約束である。祈りを働きで本当に自分の体に書くことだ。願うのも一生懸命なら働くのも一生懸命、それで神さまも手伝うてくださる」と説いておられます。

 例えばちょうど今は受験のシーズンです。「合格を!」とお願いするわけですが、初代大先生は「しっかり勉強しますから合格させてください。勉強しなかったら落としてください」と願う、これが本当の願い方だ、と厳しいことをおっしゃっています。

 私は自転車に乗るようなことではないか、と考えます。自転車は両足でペダルをこぐことによって前へ進みます。この片足が人間、願う人でありもう一つの片足が神さまだと思うのです。
 なかには器用な人がいて片足だけでペダルをこいで乗っています。でもどうでしょう。さて坂道にかかったりすれば片足だけでは上がれません。両足でしっかりこがなくては前へは進めません。
 いくら神さまがお働きくださっても、願い主がノホホンとしているようではおかげにはならないのです。

 ○営業に回りだしたら
 よくお参りなさり、お参りするとお結界で「商売、都合よくいきますように」とお願いしていく信者さんがいました。それは結構なことなのですが、あるときお届けを聞いていてこの方自身はどれだけなさっているのだろうか、と思い聞いてみました。

 「あなた自身はどうですか、おかげいただくために一生懸命やってますか」
「はい、してます」

 「注文がいただけなかったら自分から足を運んでいろんなところに頼みに行くようなことをしてますか」
 「いえ私は口下手なんで… そういうことはしてません」
 「ではどうしているんですか」
 「店のほうで注文が来るのを待っているんです」
「ご祈念しながら待っているということかも知れんが、それではあかん。あなたも努力しましょう。口下手でもいいから、あなたから出向いて注文いただけるように努力しましょう」
 こう言わせてもらいましたが、そのときは「そうします」というような雰囲気ではありませんでした。

 でも、帰ってから考えたのだそうです。自分は努力が足りてない。足りてないのに結果がうまくいかないので神さまに不足を言っておった。そう気づいて営業に回るようになったそうです。
 営業に出向くとまさにそこで、ということではなかったそうです。ところが他から引き合いが入ったりして、それまでとは商売の動きが全く変わっていったそうです。お参りされて、「先生、私、営業に力いれてませんでした」とお詫びをされていかれました。

 神さまってありがたいですね。その方が気づいたら途端に働いてくださる。間違ったところを直すときっちりおかげくださるのです。
「神さまへ願うことは、自分もしっかり働きますと神さまに約束することだ」。これをひとつ覚えればおかげへの階段をひとつ上ることになるのです。

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