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おかげの花を供えるために


近年は、面と向かって人にダメージを与える行為、ハラスメントが世の中から処断されることが多くなってきました。昔だったら泣き寝入りしたようなことも、セクハラ、パワハラと認定されるようになってきたようです。企業でもコンプライアンス(法令遵守)を守らないと会社自体が糾弾され、評価が下がるので取り組む必要性が増してきたようです。
 その一方で、ネット空間での誹謗(ひぼう)中傷はかなり増えているようで、いじめや嫌がらせは総体的に減っているとは決して言えません。
 あるキリスト教系の宗教では、「悪口やいじめの罪は重い、盗みよりも重いくらいだ」と説いている、と聞きました。なぜなら物を盗られたといって自殺する人は滅多にいないが、いじめや悪口を気に病んで亡くなる人はいるからだ、ということでした。なるほどそう言えないことはないなあ、と思いました。
 では、こうした悪意を感じる行為に私たちはどう対処していけばいいのでしょうか。

〇「温(ぬく)い雨が降ってきたと思え」
 松本サリン事件で疑いをかけられひどい目にあった河野義行さんという方の本を読みました。松本サリン事件はオウム真理教が平成六(一九九四)年に松本市で起こし、何人もの方が亡くなった事件です。当初警察は被害者であり奥様も意識不明となっていた河野さんを容疑者として取り調べ、マスコミも一斉に河野さんを糾弾しました。河野さんへの容疑が全てはれたのは、翌年にオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたからで、それまでは犯人扱いでした。それほどの冤罪(えんざい)被害にあったのに、河野さんは警察もマスコミもうらまない、と言われるのです。それどころかオウム真理教さえも憎んだりうらんだりしない。なぜか。人生は有限であり、その限りあるものを人を恨んだりするようなことに使いたくない。意識不明であっても奥様が生きていることへの感謝に使いたいと仰っていて、まことに頭が下がります。
 と同時に、これが本当の行き方なのだと感じ入りました。
 金光教祖の教えがまさにそうなのです。教祖宅の周囲を囲っていた麦わらの垣根に誰かが火をつけて燃そうとしました。信者さんが「罰をあてておやりなさい」と言うと「こういう者こそ心を直すよう願ってやらねばならない」。教祖はそう答えられたといいます。
 また人から悪意を向けられた時には、「人が盗人じゃというても乞食じゃというても腹を立ててはならぬ。盗人をしておらねば良し。乞食じゃと言われてももらいに行かねば乞食ではなし、神がよく見ておる」「頭から小便をかけられても、ぬくい雨が降って来たと思えば楽じゃ」と言われました。
 教祖は「目には目を歯には歯を」などとは決して仰らない。まどろっこしく感じられる方もいるかもしれませんが、では私たちは信心に何を求めているのでしょうか。スカッとすることでしょうか、それともおかげを頂くことでしょうか。教祖さまはおかげを頂く道を教えてくださっているのです。
 今私たちは初代大先生八十年祭に向かって、初代大先生に「教え導きくださっておかげの花をお供えさせてください」と日夜お唱えし祈っています。教祖さまが丁寧に示してくださっている信心の道を真っすぐ進んで、おかげの花を咲かせてまいりましょう。

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