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神さまと初代大先生に御礼申したか

 先日、高槻南教会長湯川壽雄先生が逝かれました。私の叔父です。詳しくは玉水だよりをご覧ください。壽雄先生は、高齢になり装束を付けての参列はできなくなっても教話の御用はなさっていました。毎年玉水のお広前でも六月の夏越大祓、年末の年越大祓のあとのお説教で、信心を熱く語られる壽雄先生を覚えていらっしゃる方は多いと思います。
 壽雄先生は脳出血を患ったあと、後遺症で半身が不自由になり言葉も出にくくなりました。一生懸命にリハビリに励んでおられました。しかしそれでも教話は無理かなと私は思いまして「大祓の教話どうなさいます?」とお聞きしました。間髪を入れず「させてもらいます」とのお答えでした。
 言葉がぱっぱっと出ないような感じでどうされるのだろうかと思いました。当日原稿を出して読んでおられました。前もって壽雄先生が口述し、お嫁さんに打ってもらったそうです。そうまでして工夫し、御用を務められていました。
 その姿勢はどこからくるのかというと、先生の中学二年のできごとにさかのぼるようです。

〇二代大先生がわざわざ
 この年、壽雄少年は学年末試験を終えて友達と信州の野沢温泉にスキーにでかけました。ところがスキーの板が折れて投げ出され、けがをしてしまいます。私もスキーはよくしましたが、板が折れるなんてあまり聞いたことがありません。昔は板が木製だったのか、それで折れたのかと驚きながら聞きました。
 診察と手当をしてもらい壽雄少年が宿で休んでいると、父である二代大先生がわざわざ大阪から様子伺いにきてくれました。大丈夫か、痛くないかと優しく声をかけてくれるのかと思いきや「神さまと初代大先生に御礼してきたか」とのきびしい言葉でした。
 当時二代大先生は、いつ寝ておられるのかと言われるほど不眠不休でお広前を務めておられました。その多忙の身で列車を乗り継いで雪深い信州まで赴いての言葉でした。
 これは推測ですが、二代大先生は若いときは病に伏すことが多かった。初代大先生帰幽後は精力的に御用を務めていかれたわけですが、戦前は休むことも多かった。病床に一人休んでいるのは心細いものです。そして同じ屋根の下におりながら父の初代大先生は滅多に様子を見にきてはくれませんでした。たまに見舞ってくれたかと思うと初代大先生はきびしい言葉を病床の若先生・二代大先生に投げつけました。二代大先生にとって一生の信心の課題になるような言葉や振る舞いでした。その意味を考え、二代大先生はご自身の信心を展開していかれました。ひとことでは申せませんので『教燈』をよくお読みください。
 ですから壽雄少年が、ひとり遠い信州で休んでいる心細さを誰よりも感じて、忙しいなか会いに行くという親としての情愛ということも確かにあったでしょう。それとともに自分が病床で初代大先生から受け取った信心を息子にも今こそ渡したいというお気持ちもあったはずです。
 壽雄少年は父の言葉を記憶はしていたものの意味は深くは考えなかったと思います。しかし金光教教師となって信心を進めていく時「神さまと初代大先生に御礼申したか」という問いかけは壽雄先生の信心の指針となったようです。広大なる神さまのお恵みを頂き、初代大先生の御恩に少しでも報いるにはどうすべきか。参列できなくても教話に励む、それも不自由なら原稿を書いてという壽雄先生の行き方がそれを示している気がいたします。

(玉水教会 会誌 あゆみ 2026年4月号 に掲載)

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