信心の稽古
金光教の祈りは、天地書附に示されています。神さまが教祖さまにくだされたその天地書附には、神さまの御名が記されたあと、最初に「一心に願え」とあります。つまり金光教の祈りの第一は一心になることです。
それは初代大先生が信心の急所として一番熱心に説かれたところでもあります。信話集の随所で手を変え品を変え、詳しく一心の祈りのことをこれでもかこれでもかと説かれています。
例えば、毛糸屋さんの話があります。
夫に先立たれて五人の子を抱え途方にくれていた方がいました。まったく外に出て働いたことのない主婦でしたが毛糸屋を始めました。一番上の長女だけは働いていてお金をいれてくれ、あとの三人は当時は学資のかかる中学にいってました。学校をやめさせたらいかん、一心にお願いすればやっていけると大先生は励まします。ところが長女が結婚して出て行ってしまいます。神さまがもっと一生懸命になるよう仕向けられたんや、と大先生はおっしゃる。そして不思議なことにずぶの素人の毛糸屋が回り始めます。次々お得意を引き合わされ売れ始めていきました。そのうち二人の子が卒業して就職しわずかながらお金をいれてくれるようになりました。「これで楽になります」「おっとどっこい、これからが難しい」。そして大先生の予言のように、売れなくなっていきました。
「どうしてでしょう」「楽になったと思うだけ油断ができてお願いが甘くなったんや。だまされとったらあかん。人一倍一心にお願いせなあかん」と大先生が叱咤(しった)した。
こういうお話です。
始めは夢中でとにかくお願いして、なにも考えず突き進んでいったのに、売れない? どうしてやろうと考え出すともう一心には戻れないのです。
〇一心になる稽古
私も教会長という立場にありますが、玉水教会でも維持費というものはかかります。私が「お下がりあるやろうか」「支払いできるやろうか」などと思い始めたら私の信心は止まっています。考えずに神さまに一心におすがりしていくというのが私の道です。
戦時中、疎開しておられた初代大奥様は疎開先から帰ってきて、もうどこにも行かないとおっしゃって空襲下でもご神殿わきの控所の一画に座り込んで祈っておられました。二代大先生はその一心の祈りをささげるお姿に「母がおってくれる間、教会は大丈夫だ」と強く思われたのでした。
一心の祈りを求めていく修行に取り組んで参りましょう。
特に年配の方々に申し上げたい。体も衰え若いときのように働くことは難しいでしょう。しかし信心の稽古はできる。こうした話は信心を重ねてきたみなさんがたには思い当たることも多いはずです。一心に祈る信心を求めて徳を積んでいきましょう。第一線を引いてやれやれなどと思わず、
いつも神さまを念頭においてどうぞどうぞと一心に祈っていく。おかげをいただだけでなくお徳も積めるのです。そしてお金を渡すより信心の徳を渡すほうが子供は助かるのです。中にはお子さんがいないという方もおいでになるでしょう。周囲を祈るその一心の祈る姿——あの初代大奥様のような盤石の祈りが少しでもできれば、どういう形かはわかりませんが必ず次につながることになる。
そう私は信じています。
(玉水教会 会誌 あゆみ 2026年9月号 に掲載)



