親親切
初代大先生が布教を始めてまもない頃の話です。初代大先生が大阪教会に参っている頃からの古い信者さんで、酒屋を商っている方がいました。ところが商売がうまくいきません。忙しくて今月は(当時のお金で)二百円残るな、と思うと二百円足りない。百円残るな、と思うと百円足りない、という具合でした。
初代大先生がご本部参拝するとついてきて「自分は金光様の前にいくと何にも言えなくなる。代わりにお伺いしてくれ」と言い出しました。
すると初代大先生は「条件がある。家内と別れるならお伺いしてあげる」と。その方は困惑して「教会の先生が別れろとは。なんちゅうことを。それに商売のお願いしてるのに夫婦別れしろとは」
そこで、初代大先生は諄々(じゅんじゅん)と説き聞かせました。「だいたい君は親不孝ものだ。親をくそババ扱いする」。その方は自分のお母さんが大嫌いで食事も一緒にしないくらいでした。だから奥さんも姑(しゅうとめ)をないがしろにしていました。
「そんなことで人間の仲間入りができるか。ましてや信心してるやないか。人間らしいことをせぬ獣と同じようなものにおかげはない。親を大事にしろ」。「それでも、うちのばあさんは特別ですからなあ」。おそらく育ててもらっているときに嫌な思いをしたのでしょう。
「それでも親は親じゃ。くそババ扱いしたらいかん」
大先生に説得されて「なるほど! これからはちと母親を大事にしますわ」
「さあそこで君が手のひら返したように親を大事にしだしたら、きっと家内が黙っていない。”そんなことはできません。そんなら私は出ていきます”と必ず言う。そのときに”よっしゃ、出て行ってくれ”と言えるかということや。別れる覚悟を決めい」
大先生からこう言われて覚悟を決めました。果たしてその方が母親を大事にしはじめると奥さんがやはり「別れる」と言い出しました。しかし「ああ、いんで(去って)くれ」と言えました。
それから親を大切にし、また奥さんも実際には出ていきませんでした。
そして商売が好転しだしました。
初代大先生は、そもそも働いただけ欠損になるということが不思議なことだ。神さまのご意志としかいいようがない。神さまは信心を分からせるためには儲けさせることがありまた逆に欠損出させることもあるのだ、と仰っています。神さまのお心〃親を大切にせよ〟を実行しだしたら商売がうまくいきだした、というのも信心からみれば当たり前なのです。
またこんなこともありました。その方には極道な息子がいて顔をみれば無心を要求するような人間でしたが、姿を見せなくなって何年もたっていました。その子が便りをよこして、
「呉の造船所でまじめに働いている。随分親不孝をして考えたらゾーッとします」と、詫び状とお金を送ってきたのでした。
○初代大先生の行き方は、現代では合わないかもしれません。理不尽なことを言ったりしたりするような親なら、容赦なくこちらから縁切りすべき、というのが大方の通念かもしれません。
でもやはり私は「信心は親に孝行するもおなじこと」というお言葉は真理だと思います。
そしてこの方のように、鼻つまんで自分のしたくない親孝行をするという、そんな心のこもっていない孝行でもしていれば、神さまはおかげをくださるのです。初代大先生は「親をダシに願えばおかげいただける」と説き、たくさんの人がそれでおかげをいただいてきた、その事実が信心の真理を自ずと物語っているのです。