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信心して早く助かる法

 連日暑い日が続いています。お参りに来られるときにも十分に気を付けていただきたいと思います。
 先日もお参りの途中、こけてそのまま救急車で病院に運ばれたという信者さんがおられました。
 次の日にお結界に来られました。マスクをしていたのでわからなかったのですが、口を打ってけがをされたようでした。
 私としてはお参りの道中でけがをされて申し訳ない、辛いことであったなという気持ちでした。それがいきなり「先生、ありがとうございます」と言われました。
 お参りの途中のことであったからこの程度で済ませてもらった、あくる日またお参りができるくらいで、と一生懸命お礼申されました。みなさんにご迷惑をかけました、とお詫びをされ、そして「どうぞ早く治りますように」とお願いされました。
 私はお結界でこの方のお届けを受けて「ありがたいことやな」と心から思わせていただきました。
 まずお礼から、そしてお詫びをされ、お願いに進むというおかげをいただく信心の定石をしっかり踏んでいくみごとなお届けでした。
 普通なら、せっかくお参りしようとしたのに転んでけがしてついてない、とまず愚痴や不足が出るところです。そこをまず「ありがたい」と言えるというのはすばらしいことです。

〇「喜びに喜んで助かる道」

 初代大先生は「この道を信じてどんな具合にしましたら、早く助かることになりますか」と尋ねられたら「この道は喜び喜んで喜びのおかげをいただく道であります」と答えると断言されておられます。
 信心していても何か事が起こってくる。そのときにどう捉えさせていただくか、ということです。
 私たちには不足言いたい心があります。そして不足言うことを探し回ればそりゃたくさんでてきます。愚痴や不足を抱えてしまう信心では不足のおかげにしかなりません。
 反対に喜ぶ心があったら喜ぶことを探します。探したら喜ぶことがたくさんある。喜んで損なことは一つもありませんが、不足言うのは損です。
 初代大先生は「心に喜んでいてごらん。形のうえに喜びがあふれてくるから」と教えてくださっています。
 お参りするというのは、大抵何かあって不安や心配をもって、という場合が多いことでしょう。そのときに不安や心配を神さまに渡して少しでも喜び、感謝する心を培えるかということが信心です。普段から喜ぶ気持ち、感謝を見つける気持ちを持つよう自分に日々、自分でたたきこんでいくというのが信心の稽古であります。
 あるとき、息子さんを亡くされた方がお結界に来られました。子どもを亡くすというのはこの世の苦しみのなかでも一番と言えるほどではないでしょうか。なんと声をかけたものかと思っていると「ありがとうございます」と申された。「息子はもっと若いときに命を落とすところを神さまに今日まで命を延ばしていただきました。ありがたくてたまりません」と言われた。なかなか言えないことです。ありがたいという思いがあっても悲しみが先に出てきてしまうでしょう。
 「このひと、たいしたかたやな」と聞かせていただきました。そういう信心であれば必ず助かる道を歩ませていただけるのです。
 喜ぶ心、お礼を見出して感謝していく心を自分のなかで大きくして大きくしておかげをいただいてまいりましょう。

(玉水教会 会誌 あゆみ 2025年8月号 に掲載)

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