疑いと心配を放して

玉水教会は明治三十八(一九〇五)年土佐堀裏町の長屋の六畳二間を広前として布教を始めました。しかし参拝者が増加してすぐに手狭になり翌年江戸堀上通りの角の家を借り受けて移転します。
移転するには様々に費用がかかります。移った家を教会のしつらえにするのでも相当お金がいります。「一切で八百円は要りましょうな」「そのくらいなら手元にあるさかい」と初代大先生は二つ返事で受けました。
これを聞いていた修行生の誠一先生(後の初代銀座教会長)がその晩「今二百円ほどしかないのに」と初代大先生を追及します。「六百円足りないといえば世話係が自分たちで何とかしなければ、と心配する。神さまという大金持ちの親方がいるのだから一生懸命お仕えしていればきっと出していただける。心配はない」と初代大先生は話して誠一先生を納得させました。
移転がすみ明日は節季という晩、誠一先生が「明日の支払いに百八十円いるのに手元に百円しかありません。どうしましょう」と初代大先生に尋ねました。(当時と貨幣価値が大きく変わるのではっきりしたことは言えませんが、おおよそ一円を一万円くらいにして読むと話が分かると思います)
初代大先生は「神さまにお願いしなさい」と何度もご祈念させました。
そして翌日支払いするのに「一軒も断ってはならん」と厳命します。百八十円の支払いに百円でどうするのか。一日が終わったとき誠一先生は「支払いできました。取りに来ぬところがありました。あすのお献具代が残りました」と報告したのでした。そして翌月五日にはきれいに支払いができたのでした。
初代大先生は一心の祈りが神さまに通じているという信念があり、たとえ現金が手元になくても最終的には必ずおかげいただけると確信しておられたのです。実際に足りないお金しか預かっていない誠一先生はおろおろするわけですが。どうしたら神さまに届くような一心の祈りができるのか。また神さまを信じて悠々としていられるのか。ということです。
〇心配を放す
初代大先生七十年祭の直前私はひどい風邪をひきました。二月一日は墓前祭を仕えてからお広前の祭典という段取りでしたから瓜破に参りました。鼻水と咳がつらい。ふと車から参拝者をみているとコートを着ていない。そのくらい暖かい。なんとありがたいこと、と青空を眺めていると自分の鼻水と咳が止まっていることに気づきました。お願いしたら疑いや心配を放さなあかん。とい
うことをそのとき学びました。
そのあと三月ご霊祭のときには声が出ぬようになりました。改式行事というのは一時間以上警けいひつ蹕をかけるわけですから声が出ぬでは務まりません。しかし私は全然心配なかった。神さまにお願いしてる、きっとおかげいただける。その前二月に信心を勉強したばかりですから、治るだろうかと心配しおかげあるだろうかと疑ったら一心の祈りにはならぬのです。信じる。神さまを信じる、ということはお任せすること、声が出ぬなら出ぬできっと良いようにしてくださる。私は心配することない。そう確信して勤めてましたら、ちゃんと前日になって声が出るようになりました。体のこともお金のことも同じです。心配を放すことです。
(玉水教会 会誌 あゆみ 2025年5月号 に掲載)