親と子あいよかけよ

あけましておめでとうございます。令和七年二〇二五年の新春を迎えました。今年は玉水教会が布教をはじめて百二十年目になります。つまり節年です。
いつも申しておりますように節年というのはおかげがいただける年です。おかげは信心の影でありますから信心を大きくするということが必要です。ですから信心を進める深くするよう取り組んでまいりましょう、ということになります。こう申しますとなんか難しい話みたいです。しかし金光教の信心は日々のふと感じたことなどを手掛かりに求めていけばよろしいのですから難しいことはありません。
たとえば、私はお結界に座らせていただいていて「?」と感じたことがありました。
高齢の方が「どうぞ大病などしませんように」とお届けされる。これは至極もっともです。ただそのあとに「子供に迷惑かけませんように」とよく言われる。なんかひっかかるのです。気持ちはよくわかるのですけれども。
そうしましたら銀座教会初代湯川誠一先生の教話を読んでいてこういうところがありました。
〇「あなたは親孝行ではない」
あるときおばあさんとその息子さんが参ってきて、おばあさんが「先生、このごろは息子も都合よくいって問題なくありがたいことです」すると誠一先生は息子さんに「あなたは年寄りに心配させないのが親孝行と思っているらしいがそれは違う。あなたのやり方は親孝行ではない。すべてをお母さんに話してお母さんからも神様に祈ってもらう。そしておかげいただいたときはお母さんの祈りのおかげで、とお礼を言い共々に喜ばしてもらう。これが信心の道の親孝行だ。」
そう導いたのでした。前後から、そのおばあさんは熱心な信者さんでいくつもの坂を乗り越えてきた方のようであり息子さんも信心はされて教会にお届けされていたようです。ですから先生は息子さんが、なにごとも都合よく行って、というふうだなないこともご存じであったようです。
誠一先生のお言葉に従うと、年寄りが子供に迷惑かけぬように、というのもどうだろうということになります。年をとればあちこち病気がでてくるのは当然です。不摂生をした罰でというばかりではない。そうなったときに子供に申し訳ないと小さくなるばかりはどうでしょうか。神様から見て、という視点をとっていただきたい。なんとか親の病気を治してもらいたいと子が参ったり祈ったりしてくれれば神様は喜んでくださいますし、信心しなくとも親の看護、身の回りの世話をすれば「信心は親に孝行するも同じ」という神様ですからよしよしと受けてくださいます。
要は、子供に迷惑かけないよう、年老いた親に心配かけないよう、と相手ばかりをみるのではなく親子が一体になって神様から及第点をつけていただけるようにつとめていくのが信心なのだということです。
神様は「子供のことは親が頼み、親のことは子が頼み、あめつちのごとし、あいよかけよで頼みあいいたし」(元治元年正月朔日の神伝)と教えてくださってます。
み教えをいただいて神様を意識しながら生活していけばおのずと信心の道は開けていくものと存じます。
(玉水教会 会誌 あゆみ 2025年1月号 に掲載)