まだお蔭頂けません

質問No.w10 まだお蔭頂けません 未完の信者 女性 50代

 まことにお恥ずかしいことですが、ぜひ皆様のご経験やお考えを教えて頂きたくて、思い切って投稿させて頂きます。長い間(十年程ですが)神様にお願いし続けていることがあるのですが、まだお蔭が頂けません。こんな場合は、お願いそのものがいけないのか、それを願っている私に資格がないのか、お願いそのものを変えねばならないのか、あるいはこのままいつまでも願い続けるのか、私にはさっぱり分かりません。どうか皆様のご経験やお話をお聞かせ下さい。まだ信心の出来ていない信者より。

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まだお蔭頂けません への7件のコメント

  1. 訓練生 男性 60代 より:

    その1~願いの成就~私たちは天地の間に生かされているのですから、神様の思いに合わせる生き方が必要です。このため生活の中で、神様に対するお礼、お詫びと改まり、お願いをつうじて信心を進める努力をしています。そうは言っても、我(ガ)や心配心がなかなか消えず『奉公人』の心になりきれません。そこで大先生に、お結界をつうじて、我々の願いを神様に、神様の思し召しを我々にお取次ぎして頂きます。願い成就だけでなく神様の恵みの中に生かされていることに気付かされる有難い場です。お取次ぎは、実際にその有難さを体験された方にとっては、表現しようがないほどの喜びです。さて、誰でも願いを持つことが大切ですが、ご質問にある長年成就しない願いは、神様の思いに沿っていない願い、あるいは、成就の時節が来ていない願いだと思います。お取次ぎ頂いた願いであれば、その成就に向かってさらに辛抱や信念と覚悟が必要なのでしょうね。私も同様に、何としても成就させたい願いを持って頑張っています。(その2に続く)その2~まことのおかげ~しかし、願い成就もさることながら大切なことは、例えば、お願いし続けている長い期間でも別のさまざまな難儀もあったでしょうが、そんな中でも今生かされていることが有難いと気付かせて頂くことです。お願いは、このお礼の心を基にしたものであることが大切ですね。『おかげは和賀心にあり』とありますように、和らぎ喜ぶ心を我が心に持ち続けることが何より大切です。神様は見えませんが自分の心を神様に向ければ日頃見逃している多くの有難いことがはっきり見えるものです。そうした心を持ち続けることが神様の思し召しに沿うものであり、まことのおかげであると思います。解ったように言っている私も懸命に信心の努力をしている途上で、目標にはまだまだほど遠い状況です。初代大先生が「信心とは一言でいうと神様を信じきること」と言っておられます。みんなで70年祭に向かって毎日の生活をとおして、まことのおかげを気付かせて頂きたいものです。
    (w10-1)

  2. 難儀な氏子 男性 70代 より:

    10年、よく続きましたね。あなたのお願いの内容や、親からの信心なのかわかりませんが、何れにしても理由があると思います。私の場合、無我夢中の30年で頂いたおかげもあり、まだ頂ききってないおかげもあります。が気がついてみると自分でも驚く程のおかげの中に居ります。あなたの場合、なんで?と考える余裕がおありのようですから、それをそのままお結界でお尋ねされ、大先生のお言葉を神様の言葉として実行して行かれては?その時のお言葉に納得いかなければ、納得いくまでその場でお尋ねして心が定まるまで続けてください。かならずお蔭がいただけます。「信心の苦労は無駄にはしない」と神様はおしゃっていますいます。私もまだまだ未完の信者ですが、あなたはまだお若いしこれからがお蔭を頂かれる大切な大切な時にむかっておられる気がします。元気を出して頑張って下さい。
    (w10-2)

  3. 百合 女性 60代 より:

    1つの事を10年以上祈り続けておられるのは凄いと思いました。どの様なお願い事なのかわかりませんが、既にお蔭を頂いておられるかもわかりませんね。それに気付いておられないだけかもわかりません。思い道理になる事だけがお蔭であるとは言えません。数年も経って、あれもお蔭これもお蔭であったと気付くことが多いものです。お蔭は願ったから型が変わったり状態が変わったりするだけでなく、自分の心が変わらせて頂くお蔭を頂く事で心が救われ、助かる事も大きなお蔭を頂いた事に他ならないのです。「心に頂くお蔭」というものを会得すれば、お蔭は時を待たず、しかも無尽蔵に頂けるものではありませんか。
    (w10-3)

  4. 嘉優 女性 60代 より:

    至らぬ信者ですが経験をお話させて頂きます。私は土地、家屋の不法占拠の立退問題で無理なお願いをさせて頂いておりました。何故悪い人が強いのか色々悩みました。神様は一度お願いしたことはお聞き届けて下さいます。めぐりの深い家ですので、30年あまりかかりましたが、お蔭頂くことができました。すぐにお蔭頂ける方もおられますが、年数がかかる場合もあると思います。辛抱も信心です。「時節を待て」という教えもあります。迷わずあきらめず、今のまま願い通されたらいいと思います。日々健康に過ごさせて頂けることが有難く、感謝申し上げ御引き寄せ頂いております。
    (w10-4)

  5. お仲間信者 女性 50代 より:

    私もやはり貴方と同じ道を歩いて参りました。お便りを見て、昨日の自分の事のように思いました。誰もが同じ道を歩いているのですね。自分や家族のことを心配して、祈る心を神様に向けるのは当たり前だと思います。そしてその願い通りに人や物がなってくれることを、私もお蔭を頂くことだと思って居りました。でもそうではないと気付かせて頂いたのは、やはりお教会でのお話や、人様のご体験を聞かせて頂いたからでした。私の願いは、私という知恵も経験も限られた小さな人間から出たものですが、神様の目は、遥かに広くすべてをご覧になったその上で、私の願いをお聞きなのです。神様を信じるとは、私の目には見えないそのような神様のお働きへの心からお礼とお詫びを申し上げることですし、お願は一生懸命にしますが、後は全てを神様にお委ねすることではないでしょうか。これは私一人の思いなので、間違っていたらどうかお教え下さい。そして諸先輩の皆様のお言葉を、この「ふれあいの広場」を通して頂けたら、こんな幸せはございません。どうかよろしくお願い申し上げます。
    (w10-5)

  6. 梅里 女性 70代 より:

    あなたは「まだお蔭が頂けません」という門から信心の大道に入って来られたのだと思います。初代大先生の信話集の中に、どの門から入ったにしても要は「信心する人の真の神徳を知らぬ事、信心する人の真の信心無き事」とあるように「真の神徳を知らせて頂き、真の信心を得させて頂く事が大切であると書かれてあります。私達人間は朝幸運にも目が覚めます。神様に命を頂いたということです。その命の働きのための必要な願いは、何でも神様に願う権利があります。だからいろいろ迷わず。とにかく一心に願い通すことです。「神は人を助けたいそれ以外は何も無い」との祈られている身を信じて。しかし乍ら物理的に型に現れて来ない場合が度々あります。そんな時は神様が一番骨を折って下さっている時なのです。だから尚一層に力を入れて祈り通して下さい。必ず後になってあれもお蔭であった。これもお蔭であったと解る時が必ずきます。とにかく初代大先生の信話集を読ませて頂きましょう。答えがきっと見つかります。
    (w10-6)

  7. 北斗七星 男性 60代 より:

    時節を待つことも大事です。私は、ここ数年お願いしていることがあります。
    最近になって、このお願いを頂く時期が来ていない。このお願いを聞き届けて頂く環境といいますか、おかげをいただく人がまだその器になっていないことに気がつきました。でももうすぐ他だと感じてきました。その人がだんだんその器に変わってきたことです。その変化に御礼を言うと共に、時節が着たらお願いをお聞き届けくださいと又お願いしています。
    (w10-7)

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