先のすぼまる事は願えん

“投稿No.440 迷走ライダー                     男性 60代

 四年前の夏 耐震工事中家内と参拝し記念館のお広前でお取次ぎ頂きました。私は父が始めた仕事を継いだのですが家内が将来へ向けて商売の縮小閉鎖をお願いしたら大先生のお取次ぎは『先のすぼまる事は願えん』と厳しいお言葉を頂きました。筋からいけば私がお願いしなければならんところを家内がしてくれました。パシーンとはたかれた衝撃が心に響きました。でも全然痛くありません。それどころか勇気百倍頂きました。「先のひろがる事なら願ってもらえるのや よし、もう一度がんばると町工場の再スタートです。新部門を取得の為所轄の役所へ申請しました。多くの人に力添え頂き新たな資格を頂き仕事の幅を増やせました。私の心を大先生にリセットしてもらいそして家内が再起動スィッチを押してくれました。業界は大手メーカーに囲まれ個人商店は厳しいですが商売に取組みました。しかし去年の夏売上があとがないところまで落込みました。「どうぞ商売繁盛おかげ頂けますようお願い申し上げます」と電話でお届けいたしました。11月のはじめでした。それから仕事を順調に廻して頂き7月から10月まで4ヶ月の赤字を11・12月で消してもらい新年を迎えるおかげを蒙りました。70歳を目前にして今の私は信心の幼稚園児です。それは今までお話聞いたり参拝するだけの格好ばかりで心が何も信心に取組んでいませんでした。四年前『先のすぼまる事は願えん』のお取次ぎが頂けたからこそ今日があります。大先生に一歩でも半歩でも近づけるよう信心させてください。先のひろがりますよう宜しくお願い申し上げます。ありがとうございました。”

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ハニートラップ

“投稿No.439 白きたおやかな嶺 男性 70代

 ハニートラップと云う言葉をご存じだろうか。文字通り甘い罠である。普通使われるのは政界やスパイ活動において敵に美しい女性を送り込み、相手の油断・誘惑をしかけ敵の秘密かつ重要な情報の入手を行うときに使われる。しかしこのての戦術は古くから日本にも有り、例えばくノ一忍者もこの種の活動に当てはまるのだろう。男が女性の誘惑によわいことを利用している。
これは誘惑に負け易い人間の習性を良くあらわしている。何も異性の誘惑だけでなく物欲、お金、権力などの誘惑に弱いのが人間である。特に昨今WEBの利用のなかで他の情報が容易に手に入れられるので、その情報のもつ誘惑に陥れ易い。例えば食欲つまり美味しいものの誘惑にも我々弱い。端的にはバイキング料理などはつい欲張っておおくのものをとりすぎつい食べ過ぎになり胃が苦しくなったり、太ることになるのではないかと後から後悔してしまう。渡る世にはこの疑似ハニートラップはいたるところにあるだろう。                                    しかももっと些細なミニ・ハニートラップのようなものは日常生活ありとあらゆる所に存在する。信号が赤でも車が通っていなかったらつい走って渡ってしまうことはないだろうか。ついつい許されると勝手に思い込み、行き過ぎたことをして仕舞う。例えば子供や自分より弱い立場の人についぞんざいな言葉を発し足り、上から目線になってしまうことも信心ではトラップにつかまっているのではないだろうか。直ぐには反応がでなく卑しい優越感に浸れるこの種のトラヅプは特に要注意である。トラップのつけ、めぐりは後からやってくるので分かりにくい。                    初代大先生はこの手のトラップ・誘惑を心のタヌキと分かりやすく表現された。タヌキは実にうまい口実をつかってハニートラップを仕掛けるので用心・用心である。昨今良く聞く言葉に、頑張っている自分に御褒美を、とつい身分不相応な買い物や生活をしてしまうことがある。なるほど時には自分に御褒美をすることもいいことではあるが、問題は直ぐ実行しないでワンクッションを置くことである。時間をおくことでより冷静なそして適切なご褒美の案が実行できると思うのだが、どうであろうか,昨今心のタヌキがハニートラップとしていたるところにある。お結界で最後に「気をつけて」と優しく云われたらこのハニートラップに引っ掛からないように気をつけようではないか。


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2時間ドラマを見終わって

“投稿No.438 白きたおやかな嶺 男性 70代

 年末年始は特別な期間である。テレビドラマや映画も特別番組が普段より多くあり、なにか休暇気分を高めてくれる。そんな中に年末一つの時代もんの2時間ドラマを楽しんだ。原作者が私の好きな藤沢周平であった。ドラマは薄幸の江戸時代の主人公が遅咲きの幸せをつかみ取るストーリーで藤沢周平らしい人生の悲哀・人情を豊かに描いていた。主演、脇役大勢の俳優さんもそれなりに役柄になりきっていた。その物語りに深く感動を覚えたことに違いないが、今回その内容以上に心を揺さぶられることを体験した。                                     通常ドラマの物語りの最終シーンでは音楽が静かに流れて行くなかに、主演俳優からそれぞれ脇役の多くの俳優の名前が画面に流れて行く。それからスタッフの人達が順吹紹介されてゆく。演出、道具、照明などいろいろなスタッフが長々と紹介されてゆき、最後に監督の名が大きく映し出されて行く。 しかし、それだけではこの最後の紹介は終わらなった。協力した会社、地方、組織などつぎつぎとと紹介されてゆく。私が感動したのはまさにこの箇所である。たかが2時間のドラマにこれだけ多くの目には見えない裏方や組織などが協力して作り上げていたのかと思うとまさにドラマにはない新鮮な感動を与えてくれた。                                                  ひるがえって我々の人生はどうであろうか。 2時間ドラマでもかくも多大な労力が費やされているのに何十年もの人生を過した私を支えた人・協力した人・士地・組織など映画のように書きだして紹介すると膨大になること間違いない。隠れた協力者・お世話になった人達など数え切れない膨大な人数になるであろう。その方々の更に後ろに神様のお世話があったとしたら、我々はこれまでの過去を感謝・お礼を申しあげるのは不可能に近いかもしれない。年末の2時間ドラマを見終わったあと暫し感慨にふける私であった。


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レッドカーペット

“投稿No.437 白きたおやかな嶺 男性 70代

 外国の映画の表彰式、有名なのはアカデミー賞などの表彰式で映画俳優がカップルで赤い絨毯の上をそぞろ歩いているのはよくテレビで紹介されている。その時歩くのは決まって赤い絨毯、つまりレッドカーペットである。また外国の大統領などが訪問先の国の空港でタラップからおりてきて出迎えの方と握手したりハグするのはまたレッドカーペットの上である。このようにレッドカーペットは特別に選ばれた人達がある特別な機会に歩む赤い絨毯の小道である。いわば選ばれた特別な人達の特別なそぞろ歩きの小道である。
 ひるがえって我々普通の人達にそのような機会はあるのだろうか。いや殆どないに違いないと思っていた。当然私の人生にもそのような機会は考えられないと思い込んでいた。しかし、最近ふと早朝の人気のない教会への朝参りをいつものようにそぞろ歩いていると、ひょっとしたらこのそぞろ歩きは人生のレッドカーペットを歩いているのではないかなと突拍子もなく思えてきた。
別に表彰台にいくものではないが玉水教会という大阪の聖地で神様や歴代大先生にお会いしていただくための特別な機会を毎日頂いているのかもしれないと思い出した。私の場合大阪駅の桜橋口からドーチカの地下街、それに地上にあがり渡辺橋、肥後橋、旧玉水商店街のこれらの歩道に早朝には私専用のレッドカーペットがしきつめられているのである。毎朝その上を歩かしていただいている充実感に浸っているこのごろである。
 さらにやがて誰にも訪れる人生の終着駅・臨終にもこのレッドカーペットが用意されているに違いない。臨終の門をくぐるなり多くの先人の御霊様に迎えられながら歩むレッド・カーペットがそこには有るにちがいない。そしてゆっくりとレッドカーペットを歩く先にはまばゆいばかりの誰かが迎えてもらえる地があるのだろう。ただし、レッドカーペットを歩くにふさわしい徳を生前積んで置けばの話しだが。            こんなことを考えるようになった昨今だが、いやまだまだこの世で宿題が多く残されており夏休みの終わりの小学生のようになにから手をつけようかと悩んでいる昨今である。

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難儀と信心の稽古

“投稿No.436 あざみ 女性 70代

 玉水教会というお徳に満ち溢れた教会にどっぷりと浸っている自分、いつも助けて頂いて数々のお蔭を頂いているのに自分の信心は全然できておらずお礼が全然足らないでいる。神様は私にどの様になれと求められているのかわかりません。でもなんとか神様に使って頂ける自分にならせて頂ける様に願っています。
自宅の隣は炉端の店ですが、換気扇の音が非常に強く夜中まで続くので寝れません。耳栓をしても、寝場所をかえても、お酒、薬でも駄目。仕方が無いのでそんな時には遅くまでテレビや本に頼っています。二時間程度で目が覚め、それから一、二時間寝付けない事も。お休みは日曜日なのですが、そんな日に返って寝れません。その事だけは御願いを聞いて頂けないのです。良い方法があれば教えて下さい。難儀はわが心、安心になるもわが心だと教えて頂いております。一心の祈り、とても難しいです。お礼もまだまだ足りません。勉強させて頂きたいと思います。

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お取り次ぎ

“投稿No.435 あざみ 女性 70代

 修徳殿に入殿させていただいた折りの意見交換。ある方のお話し、病気の回復の見込みはないと医者から云われ、教会に参拝して祈願成就を願っているが、いつもお結界でお取り次ぎが頂けないと云われる。私達には理解できないことですが、そんな時こそ先生にお取り次ぎを頂いて信心の稽古に一生懸命、そしてお蔭を頂く時だと思うのです。自分一人の祈りでは駄目で、先生にお取り次ぎを頂き祈って頂くことによってお蔭を頂けると思います。でも必ず自分の思う通りのお蔭を頂けるのかわかりません。神様が最善をつくして下さってもここ迄しか出来なかった、この人の為にはこの方が良いのだと思われての事もあります。神様は常に私達の傍にいて少しでも良い方へと願って下さっています。
輔導の先生から伺った話、お取り次ぎを頂いたのだから、もう痛みも治ったのだとお礼を申し上げた。その夜はまだ痛みもあったが翌朝には治っていた。それぐらい神様のことを信じることが大切です。

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大きなおかげ

投稿No.434 匿名 

 八年くらい前ですが、私は目上の人に人格を否定されるようなとても辛い事をされて、すっかり自信をなくして落ち込んでいました。私が信心するようになったきっかけは、なんとかその人を改心できないかとおすがりしたからでした。その考えは甘くおこがましいことでした。その人は全く変えられなくてあきらめました。でも、そのきっかけがおかげだったと思える今の私です。                                              とにかく、広前にすわると気持ちが落ち着き、心が浄化できて安心のカプセルで心を満タンにして強固な意思になって帰宅できるのです。大丈夫、大丈夫と頭をなでられ、背中をさすられている気持ちになれるのです。その大きな羽の中で、もしかしたら不幸の種は自分が過去にまいたからかもしれないとも思えるようになってからは誰もせめられず、立ち向かってのりきっていくことが、生かされている使命かもしれないと思えるようになってきました。私にとってその気づきを頂戴できたことが大きな大きなおかげなのです。

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お庭掃除

“投稿No.433 訓練生 男性 60代

 ある方の発案でお教会の北お庭のお掃除をさせて頂いた。これまで、私もお庭を見ながら暫く身体を休めたりボーと考えごとにふけったりしてお世話になっているお庭だが、お掃除のことを気付かなかった。雨上がりの直後で幸いにも土も柔らかく雑草の根っこまで抜こうと心を集中、やり始めると止まらない。
お掃除というと、瓜破奥城建立後も先祖のお墓が阿倍野にも残させて頂き今に至るが、父が死去後、私がそれまで気にも留めていなかった先祖のお墓を月に1度掃除し、最後にお礼のお祈りをさせて頂いている。苔の中で芽を出す、短く、取り分け地面にへばりつく雑草抜きは手の指の爪先を土で真っ黒にして続ける大奮闘となる。時間がないから早く抜こうと力を入れると途中で切れ、根っこの先まで抜き取れない。翌月墓地に行くと結果が明確に表われる。ここでも焦らないことや実意丁寧が求められる。
そんなことを考えながらお庭のお掃除をしていると、私が幼い頃、祖母が1日中腰を屈めて苔の間に生える草取りをしていた姿を思い出し、懐かしい何かホッとした心になる。こうした記憶が無意識ながら蘇り、お教会のお庭のお掃除も更に大きな喜びの心でさせて頂ける。
子供達は知らず知らずのうちに、親や祖父母の姿を目や心に焼き付ける。信心継承に向けて何か一つでも自分が変ったと思える姿を子孫に残したいものだ。

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『玉水わっしょい』

“投稿No.432 訓練生 男性 60代

 二代大先生30年祭奉迎『玉水わっしょい』が6月19日に開催され、彌壽善先生から初代大先生の求道のお姿や二代大先生のご幼少期から終戦に至るお姿をスクリーンのお写真も交えご教話頂きました。初代の「お結界で死んでも良い」とのお言葉や終戦までの約10年間に何10キロも痩せられた二代大先生のお姿を通して、神様の心を求め続けられたお話に感動しました。私は30年前、丁度二代大先生ご帰幽の直後、大病のため東京で生死をさまよっていたのですが、起死回生のおかげを頂き、こうして元気に参加させて頂けている現在、これ以上のおかげはないと感じています。年齢を重ねて来ましたが、自分に甘えることなく、さらに恩返しの心を強くさせて頂きたいと思います。なお当日は、昨年末から決めていましたある用件を私に代わって、心よく引き受けてくれる友人が見つかったことも有難いことでした。



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理屈の世界と心の世界

“投稿No.431 訓練生 男性 60代

 複雑な今の社会の中で、人の目に見える行動自身を律する理屈の世界は勿論大切ではあるが、逆に、それらは理屈の間隙をすり抜ける知恵を出す余地作り出し、ややもすると『心の世界』の大切さを理解する姿勢が失われてゆく。
 言うまでもないが『心の世界』とは、金光教の教えの根幹となる『実意丁寧』 『自分中心主義から脱却する』、『和らぎ喜ぶ心を持ち続ける』こと等である。人間の心は目先のことでコロコロ変わる厄介なもので私自身も反省することは多々ある。しかし、折角生かされているのであるから、お祈りとお結界取次でのお願いを通して、何かみ教えーつでも心の軸に据える努力を続けたいものだ。
 主夫業に挑戦してきたが家庭の仕事の余りの奥深さに気付かされた私は、これまでの見方が随分変わった。そこで、理屈と自己主張を控えめとして穏やかな心を持ち続けることを改めて目標とすることにした。これもおかげのプロセスであろう。

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