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2010年度
7月掲載分(連載第61回
世界中がお広前
6月掲載分(連載第60回
「教祖さまのお徳に満ちあふれた本部広前」
5月掲載分(連載第59回)
「ご祈念」
4月掲載分(連載第58回)
「お伊勢さんにお参りして」
3月掲載分(連載第57回)
「一番欲な人」
2月掲載分(連載第56回)
「ご恩報じの生涯」
1月掲載分(連載第55回)
「初代大先生七十年祭に向かって」
2009年度
12月掲載分(連載第54回)
「もう一度お結界に」
11月掲載分(連載第53回)
「お神酒さん」
10月掲載分(連載第52回)
「御教えを守る」
9月掲載分(連載第51回)
「心をこめた日参」
8月掲載分(連載第50回)
「心をこめた日参」
7月掲載分(連載第49回)
「神さまのおはからいのままに
6月掲載分(連載第48回)
「音が鳴らないのがおかげ
5月掲載分(連載第47回)
「先導に導かれる幸せ
4月掲載分(連載第46回)
「祭詞を奏上する心
3月掲載分(連載第45回)
「まことの信心 まことのおかげ
2月掲載分(連載第44回)
「信心の四つの目的」をしるべにして
1月掲載分(連載第43回)
立教百五十年、三代大先生十年のお年柄」
2008年度
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世界を祈る」
11月掲載分(連載第41回)
金光様と大先生」
10月掲載分(連載第40回)
信心の改まり」
9月掲載分(連載第39回)
「食物は人の命のために」
8月掲載分(連載第38回)
「本部広前」
7月掲載分(連載第37回)
「喜びをみつけていく」
6月掲載分(連載第36回)
「借金」
5月掲載分(連載第35回)
「天地書付」
4月掲載分(連載第34回)
「信心、老いての楽しみ」
3月掲載分(連載第33回)
「お手引き」
2月掲載分(連載第32回)
「三代金光様と初代大先生」
1月掲載分(連載第31回)
「新人になる」
玉水教会月刊誌「あゆみ」に
毎月連載されています
巻頭の「教風」より転載しています。

行き届いたご祈念


 あるとき、学生さんが初代大先生に「学期試験が近づいています。どうぞよい成績がとれますように」と御届けしました。すると大先生は「あほらしい、そんなお願いようせん」とけったばかりか「だいたいあんたは親不孝者や」とまでおっしゃいました。学生もそこまでいわれて「私のどこが親不孝ですか」と聞き返すと「それかいな、あんたはいくつや」「はたちです」

 二十歳といえば大学などの高等教育を受けている学生です。戦前は今と違いこうした人はほんのわずかでした。親によほどのゆとりがあり本人も学業優秀でなければ上の学校に進めませんでした。二十歳の男子といえば大阪では親の商売を手伝ったり、商売を覚えるためにほかの店で働いたりしているのが普通でした。しかし学生がのんびりしてしまうのは昔も今も同じで、この学生もテニスや野球など今で言えばサークル活動に夢中だったようです。

 で、大先生は「手が足りなくて困っている親の手伝いをさせてもらおうとは思わんか」「私の体が二つないと、勉強も手伝いも、では」「いや、信心さしていただき神様に足していただけば、たった一つしかない体でも事足りるようにすることができるねん」「そんなら、どうすれば」。
「”金出して人の手まで借りて忙しい目している親の様子をみますと、私が手伝いにひと肌脱いで働かねばならんところでございますが、学校へやっていただいておりますので、それが思うに任せません。どうぞ、神様、あなたが親の営業を助けてやっていただきまして、万事都合よくおかげをこうむり、ますます商売繁盛いたしますように”とこう一生懸命お願いしたらええねん」

 まことに行き届いた大先生の御理解、祈りのお言葉で、こんな風にお願いされたら神様だってぜひともおかげをやらねばと奮いたってくださるに違いありません。
 実際その学生は成績も上がり親の商売も一層繁盛し、学校から帰るとすぐに仕事着にきがえて手伝うようになったそうです。

 ○書けば一行の言葉だが
 お願いはごり押しにただ押していくだけが能ではありません。自分にかけられた神様の願い、思いをわかり、それに沿って願っていかねばなりません。

 例えば貸しビル業の方がお願いに来るとします。今の厳しい経済状態で、テナントが入らなかったり、出て行ってしまったりする事があります。そんなとき、ただ「良いテナントがはいりますように」と繰り返すだけでは足りません。
 ご祈念帳には一行そう書いてあるだけですが、実際の祈りはもっと深くしなければなりません。

 神様のお土地をいただき、神様の建物を神様に建てていただいたのです。まずそのお礼を心から申さねばなりません。テナントが入っていることのお礼、そして商売繁盛を願います。本来なら神様が建てたビルならつねに満室でなければおかしい、それが空いているとしたら、神様がサボっている? いえいえ自分の腕で入れた、といった思い上がりの心があったりして神様のご機感に適わなかったのでしょう。ですからお詫(わ)びもしなければなりません。――というように深くなっていきます。
 そして神様が働いてくださる、行き届いた祈りができるように、お話を聞かしていただき自分の信心を磨いていかねばなりません。

<2010年8月掲載>
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