バックナンバー

2010年度
2月掲載分(連載第56回)
「ご恩報じの生涯」
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「初代大先生七十年祭に向かって」
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10月掲載分(連載第52回)
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「心をこめた日参」
8月掲載分(連載第50回)
「心をこめた日参」
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「神さまのおはからいのままに
6月掲載分(連載第48回)
「音が鳴らないのがおかげ
5月掲載分(連載第47回)
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「祭詞を奏上する心
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「まことの信心 まことのおかげ
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「信心の四つの目的」をしるべにして
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立教百五十年、三代大先生十年のお年柄」
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11月掲載分(連載第41回)
金光様と大先生」
10月掲載分(連載第40回)
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4月掲載分(連載第34回)
「信心、老いての楽しみ」
3月掲載分(連載第33回)
「お手引き」
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「三代金光様と初代大先生」
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2007年度
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「三代大先生と甲子園」
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11月掲載分(連載第5回)
 「生活の中に信心を現していく」
10月掲載分(連載第4回)
 「節年の信心」
9月掲載分(連載第3回)
 「物を大切に」
8月掲載分(連載第2回) 
「信心の横のつながり」
7月掲載分(連載第1回) 
「百年、途切れることなく」
玉水教会月刊誌「あゆみ」に
毎月連載されています
巻頭の「教風」より転載しています。

一番欲な人


初代大先生は、世間の普通の考えとは逆に、欲は大切ということを強調されます。
 そしてその例として、大阪の商人平野平兵衛さんを挙げ、
 平野さんは欲な人やった。商品が値上がりしそうなときは顧客に多く送り、値下がりしそうなときは少なく送る。そうやって顧客とともに繁栄するという方法をとった。商品を買い占めて値上がりさせ自分だけ利をとろうというようなことをする人がいるが、欲とはいえん。事実、平野さんは繁盛してたいした人になった」
 本当の欲とは、己一人の利益を追求するのではなく、多くの人や社会と共栄することだ、とお話しされているのです。

 ○今でいえば中学一年生
 初代大先生は明治二十七年、二十四歳のとき奉公していた貴田商店が倒産してしまい、ご自分の身の振り方をお伺いするためにご本部に参拝します。
 そしてお結界に座っておられるのが、前年参拝したときに「さようなら、ご機嫌よう」とお言葉を下さった二代金光様ではなく、少年であったことに気づきます。それでも金光様といただいてお伺いをし、思いもよらぬ「小売りをしなさい」というお言葉をいただき人生が転回していきます。
お結界に座っていた三代金光様は、ときに満で十三歳。いまなら中学一年生、初代大先生でなくても大切なお伺いをするのに躊躇(ちゆうちよ)して当たり前でしょう。
 初代大先生のことはさておいて、三代金光様の身になって考えてみると、大変辛いことであったろうと思われます。
 三代金光様ご自身、後に「はじめのうちは辛うて辛うてよう泣きましたがなあ」とおっしゃり、「泣く泣く辛抱しいしいに座っとりましたら、ほしいものも考えることもいつのまにかなくなりましてなあ。ありがとうてありがとうて...」と当時を振り返っておられます。
 こう読むと三代金光様は無欲な方だなあ、ほしいものもないなんて、と思えます。
 しかし私は金光様こそ一番欲な人と考えるのです。
 少年としての夢も楽しみも捨てて、当時のあまりお参りもないお広前に一日中じっと座っているというのはむしろ苦しみだけであったでしょう。
 でもそのうちに金光様は、教祖様への神様のお頼み「世間になんぼうもいる難儀な氏子を取次助けてやってくれ」を理解し体現されていきます。 身は岡山県の片田舎でじっと座っておられても、心はいつも取次を願ったたくさんの人たちのもとに駆けていかれていたのです。
 その人たちの苦しみや辛さを共に味わい、担われていました。そして喜びもまた共にされていました。
 その人たちばかりではありません。赤ん坊の泣き声がすれば赤ん坊の苦しみがとれますように、飛行機の音がすれば飛行機が無事に飛行できますようにと願われていたわけで、つまり世界中の人の幸せを願って、いつもいつも大忙しであられたわけです。
 これは平野平兵衛さんどころではありません。
 私が世界で一番欲な人、というのはそういうわけです。
 大きな大きな欲をもって信心に進んでいきたい、と私も願っております。

<2010年3月掲載>
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